N.P.キングドンさんのこと
歌川さんの曽祖父N.P.キングドンさんはイギリス人貿易商で、文久3年(1863)にデント商会の日本における代理人として上海から横浜に来日されました。
同社の倒産後独立されてキングドン・シュワーベ商会を設立され、横浜の数多い外国商社の中でも生糸を扱う主要商社のひとつになりました。
幕末期に組織された横浜居留地民の自治組織、市参事会や借地人会議、外国人商業会議所でもリーダーの一人でした。
また居留地外国人の要請を受けて幕府が慶応2年(1866)に日本で始めて横浜の根岸に設立した洋式競馬場でも馬主、騎手そして調教師として活躍されるなど居留地社会になくてはならない人物でした。
家庭生活では浮世絵師の初代歌川国鶴の娘、ムラさんと結婚され四人の子供をもうけました。
歌川さんのご先祖にあたります。
キングドンさんは明治36年(1903)にお亡くなり、山手の外国人墓地にムラさんと共に葬られています。
昨年7月にお気の毒にも歌川さんのご長男がお亡くなりになり、そのご遺骨がキングドンさんの眠られる墓地に一緒に埋葬されています。謹んでご冥福をお祈りいたします。
キングドンさんのお墓
山手外国人墓地
左上:キングドン氏の紹介写真、右:外国人墓地正面
左下:墓地風景(奥にマリヤ様の象が・・・)、右:入り口正面
キングドンさんの書簡
キングドンさんはイギリスに住むご家族宛に300通を超す書簡を出しておられ、その書簡はイギリスのキングドン家に残されています。
現在は孫娘にあたるフローレンス・キングドン氏の所蔵となっています。
その書簡の写しは7冊に製本された形で残されており、横浜開港資料館にも歌川さんから寄贈され「未公開」として保管されています。
幕末から明治維新にかけての日本の国内事情の動きを知る極めて重要且つ貴重な資料です。
歌川さんは、この膨大な全ての書簡の翻訳を一通り終え、現在その推敲に取り掛かっておられますが、その完成が待たれます。
この翻訳の一部が平成8年に出版された「横浜開港資料館紀要 第14号」に載っています。
お読みになりたい方は横浜市内の公的機関(例えば開港資料や館地区センター)で読むことが出来ます。
横浜開港資料館に保管されているキングドンさんの書簡写し
全部で7巻ある。(未公開)
横浜開港資料館にあった横浜開港資料館紀要表紙と
歌川さんが一部を翻訳された記事「N.P.キングドン書簡」
横浜開港資料館
左上:資料館の看板、右:建物正面
左下:中庭から資料館、右:一般人入り口
旭日鳳凰紋銅製花瓶
横浜の開港150週年記念行事の一環でキングドンさんが明治天皇から賜った一対の花瓶が根岸の横浜森林公園にある「馬の博物館」に6月7日まで展示されています。
キングドンさんの書簡では「皇室から2個の花瓶と絹の巻物1巻をプレゼントしていただきました。というのは天皇陛下からのものです。絹の巻物は家に送ります。花瓶もそのうちにあなたに贈ります。」と記されています。
また翌年の7月の書簡にもこの花瓶について、「神話の鳥(鳳凰)、桐の葉、旭日から天皇位を表すものである。」と書かれています。
この花瓶は、前記のフローレンス・キングドン氏が日本に返したいと言って最近歌川さんに送ってきたもので、要請を受けた歌川さんが特別展示品として同博物館に貸し出されたものです。
隣にはキングドンさんの写真と彼が自分の持ち馬を勝利に導いてくれたプリンス騎手に贈るために、ロンドンの兄に頼んで造った横浜競馬優勝記念カップが飾られています。
手紙で頼んだ通りに、カップの周りには4っのレースに優勝した馬の名前が刻印されています。
このカップは数年前にオーストラリアで発見され、同博物館が買い取ったものです。
キングドンさんの競馬でのご活躍については前に触れましたが、馬の調教師でもご活躍で宮内省(御厩課)や陸軍(軍馬局)所有馬のほか西郷従道が所有した日本馬主最初の優勝馬ミカン号などの調教を行うなど、日本在来馬の調教にも定評があったそうです。
尚、キングドンさんの長男のキングさんも騎手として根岸競馬でご活躍されたそうです。
旭日鳳凰紋銅製花瓶(歌川さん所蔵)
キングドンさんの写真と横浜競馬優勝記念カップ
馬の博物館
左上:根岸馬事公園入り口、右:元競馬場跡
左下:馬の博物館、右:馬の調教場
以上
注)横浜開港資料館内のキングドンさん書簡写しと馬の博物館に飾ってあった花瓶やカップの
写眞は、歌川さんとその関係者の許可の下、撮らせていただきました。
(栗山 記)
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