関東支部歴史散策会

令和元年12月10日

歴史散策会の12名は12月10日、旧東海道品川宿を歩きました。
量が多いので、訪れた場所・事物を列挙するだけにとどめます。
「品川女子学院中等部・高等部」:私立女子の中高一貫校。 衆議院議員漆昌巌の娘、漆雅子により創立。 島倉千代子、広末涼子、八木沼純子、桜田淳子、山口百恵などの有名人を輩出。
「問答河岸跡」:三代将軍家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が出迎えて問答した故事に由来。
「品川浦の舟だまり」:北品川橋近辺が「品川浦の舟だまり」として有名。
「利田神社(鯨塚)」:寛政10年(1798)に品川沖に迷い込み、品川浦の漁師たちに捕らえられた巨大鯨の供養碑。
「御殿山下台場(砲台)跡」:台場小学校となっている。
「土蔵相模跡」:水戸浪士が井伊直弼襲撃前夜に宿泊した妓楼の跡。
「台場横丁」: 御殿山台場へ下っていく横丁が台場横丁。
「品海公園」:「日本橋より二里、川崎宿へ二里半」の石碑がある。花壇にはかつて海岸線の土留めに使った石垣を利用。
「小泉長屋跡」: 今も小家屋が密集する路地。路地にはいくつかの井戸が残っている。
「虚空蔵横町」: 旧東海道から養願寺へ入る横丁。 養願寺の本尊が品川の虚空蔵。
「聖蹟公園(品川本陣跡)」:品川宿の本陣跡。 明治天皇東幸の際に行在所となった。
「品川神社」:文治3年(1187)創建、源頼朝が安房国の洲崎明神を勧請。
「東海寺と沢庵」:三代将軍家光が創建した万松山東海寺の開山に沢庵宗彰(1573〜1645)が迎えられた。
「品川硝子製造所跡地の記念碑」:東海禅寺大山墓地に向かう小道端に品川硝子製造所跡地の記念碑がある。 この土地・建物は明治41年(1908)に第一三共株式会社が購入し、2015年まで所有したが、2016年にJR東海がリニア新幹線の変電所用に購入。
「東海寺大山墓地」:開山した沢庵宗彰をはじめ江戸〜昭和にかけて活躍した偉人たちが眠っている。演歌歌手、島倉千代子さんのお墓もある。
「荏原神社」:品川の南の鎮守。
「問屋場跡地」:問屋場は宿場で最も重要な施設。 人馬の継立と飛脚が主業務。
「寄木神社」:江戸名所図会にも描かれている漁師町の鎮守。
「天妙國寺」:顕本法華宗寺院。徳川家ゆかりの寺院。
「品川寺(ほんせんじ)」:東海七福神の毘沙門天を祀っている。 弘法大師空海を開山として大同年間(806〜810)に創建されたという古い歴史を持つ。
「ジュネーブ平和通りの名前の由来となった鐘楼」:慶應3年(1867)にパリ万国博覧会に出品して返却時に行方不明となる。 その後、ジュネーブのマリアナ博物館で発見され、昭和5年に品川寺に戻る。
「旅籠 釜屋跡」:休憩所から旅籠に発達し、幕末には幕府御用宿となった。
「海晏寺」:建長3年(1251)に北条時頼が、鎌倉 建長寺の蘭渓道隆を迎えて開いたと伝えられるお寺。 岩倉具視、松平春嶽など幕末の偉人が眠っています。
あと、最後の土佐藩主、山内豊信(容堂)の墓所も予定していましたが廻りきれませんでした。  
昼食は、北品川商店街の中心部で、三々五々に分かれてとりました。
反省会に残ったのは常連の4名でしたが、来年度の散策会の方向付けなどを中心として、四方山話に花を咲かせました。
令和元年は、歴史散策会がスケジュールした8回の散策が全て実行できました。
次回散策は3月となります。
                                         (重富記)