関東支部歴史散策会

令和元年10月08日

歴史散策会は10月8日、神楽坂(かぐらざか)の散策を試みました。
傘マークの可能性が予報されていましたが、幸い、暑くも寒くもなく、薄曇りの快適な散策日和が終日もちました。
参加者は14名とここ数か月では好成績で、やはり「神楽坂」という粋な地名と神秘性に皆さんが引き付けられたのでしょう。
神楽坂は、新宿区早稲田通りの大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂のことをいいます。
江戸時代には、外堀に設置されていた牛込門に通じる交通の要衝でした。
名前の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏していたからとか、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したからとか、若宮八幡の神楽が聞こえたからとか、この坂に赤城明神の神楽堂があったからとか、など、いずれも神楽にちなんだ諸説があります。
大久保通りとの交差点が「坂上」で、外堀通りとの交差点が「坂下」となります。
山手線のほぼ中心に位置する神楽坂は、JR中央線、メトロ有楽町線/東西線/南北線/都営大江戸線の飯田橋駅、メトロ東西線の神楽坂駅、都営大江戸線の牛込神楽坂駅と、交通の便に恵まれ、「粋なお江戸の坂の街」として親しまれています。
神楽坂付近は、大正時代に隆盛を誇った花街で、飯田橋駅を背にした坂の右手に残る花街特有の路地は、日本でもここにしかないといわれています。
神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転します。 午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)ですが、午後には「坂上←坂下」となります。 逆転式一方通行となった背景には、急激な交通量の増加などいろいろな経緯がありましたが、結局、1958年に現在の逆転式一方通行となりそのまま維持されています。
散策のスタートとなる赤城神社は、神楽坂通りの北方に広がる静かな矢来地区にあります。
午前中は矢来地区の見どころを散策して、神楽坂上に出たところでお昼としました。
ランチは、それぞれ好みに合わせて三々五々に分かれてとりました。
午後は、神楽坂通りの左右に展開する路地・横丁を巡りながら、坂の上からだんだん坂下へ向かって降りてきました。 
非常に沢山の場所や見所を見学しました。 主なものをあげると次のようなものです。 「赤城神社」(隈研吾氏設計・監修)、「パークコート神楽坂」(隈研吾氏設計マンション)、「ラカグ」(新潮社の倉庫をリノベーションした商業施設;隈研吾氏設計)、「新潮社玄関口」、「AYUMI GALLERY」(ハーフティンバー風の木造建築の1階にある貸キャラリー)、「小浜藩邸跡」(公園)、「白金公園」、「尾崎紅葉 旧居」、「矢来能楽堂」、「見番横丁」、「芸術倶楽部跡と島村抱月終焉の地」、「地藏坂」、「光照寺」、「寺内公園(行元寺跡)」(じないこうえん(ぎょうがんじあと))、「園福寺」、「ユ嶺坂」、「筑土神社」、「アンスティチュ・フランセ東京」(旧東京日仏学院)。
反省会にはわずか3名の参加でしたが、歴史散策会役員改選を間近に控え、今後の方向付けを話し合いました。
                                         (重富記)