関東支部歴史散策会

平成31年05月18日

かつて、竜閑川(りゅうかんがわ)と呼ばれた掘割の跡を辿って歩きました。 この川は江戸の昔、明暦の大火の後に神田と日本橋の境に築かれた火除けのための土手を、掘割にして日本橋側と通水し、既にあった浜町掘と接続して大川(隅田川)へ流れる水運を提供していました。

第二次大戦後、瓦礫処理のため昭和23年(1948年)から埋め立てが始まり、昭和25年(1950年)には埋め立てが完了し、竜閑川は完全に姿を消しました。 現在では、竜閑川跡は巾1-2mほどの路地となっており、往時の水路の面影はほとんど残っていませんが、交差点名としてその名がいくつか残っています。 大和橋交差点(靖国通り)、鞍掛橋交差点(江戸通り)、龍閑橋交差点(外堀通り)、今川橋交差点(中央通り)などはすべて竜閑川にかけられていた橋の名前です。

竜閑川は江戸の神田と日本橋の境界を流れていたので、その跡地はそのまま千代田区と中央区の境界となっており、境界をまたがる施設の管理責任や住宅表示などにそれが反映されているのも興味深いです。
 昼食は、日本橋本町のうなぎ割烹「大江戸」本店で、10人全員が一寸した贅沢をしました。
 また、反省会には4人しか残りませんでしたが、人形町の蕎麦屋で次月のプランなどを話し合いました。
                                          (重富記)





竜閑橋遺構の前で